一枚の写真でほら話をするブログでございます

だらだらだらだらだら

YouTubeがあれば、テレビはもういらない

僕はテレビを見なくなってからかなり経ちます。もう10年くらいかなぁ。

本当に見てないんです。理由は簡単で、テレビが壊れたから。

新しいテレビを買おうと思ったのですが、当時ちょうど金がなかったというのもあります。

けど、僕はどうしてもテレビのある一面が嫌で嫌で仕方がないという側面もありました。



それは「素人いじり」



僕はいわゆる素人、一般人がで出てくるテレビが嫌いなのです。なんか「無理してはしゃぐ」「無理して騒ぐ」「緊張してガチガチになる」ってのが本当に見ていて嫌でした。そういうのを映して楽しんでるテレビ番組が大嫌いでしたし、今もそうです。のど自慢すら嫌いな僕なので、素人参加、一般人参加番組ってのは本当に避けてました(ごくごく少数の例外は確かにありましたが)。

だから自ずと民法を見なくなり、NHK、それもEテレを見るようになり、テレビが壊れるまでは、ずっとEテレ中心。というかEテレのみ。民法に関してはもはや何を放送しているのかすらわからない状態になってたのです。

そんな僕は今はYouTubeがあれば大好きなドキュメンタリーだの、日本のテレビでは見ることのできない海外の映像だのがわんさかあるのでして、もうテレビは一生必要ないと改めて思ってるのですが、そうやって見続けていくうちに、もう一つ心の底から実感したことがありました。



それは「YouTubeってすごく良いね」ということ。



僕はとあるYouTuberさんの大ファンで、気づいたら数日ずっと彼が海外を鉄道で旅行してる動画を見続けていたのですが、とにかく面白いのです。もちろん彼なりの計算で彼なりの編集で海外の風景を見せてくれているのですが、それが本当に心地いいのです。

はっきり言って、僕が海外旅行番組に求めているのは美味しい料理でもなく、素敵な観光地でもなく、人との交流でもなく

「その土地その土地のいつもの日常」です。

こういうところに人が住んでるんだなぁ。これだけでいいのです。この店安かったでいいし、裏路地怖そうだから行かないでいいし、ここって案外ゴミゴミしてるなぁとかここの水槽汚ねぇでいいんです。観光ツアーのコーディネーターさんがあれこれ手回ししてくれたような映像じゃなく、自分でハンディカム回したらこういう風に見えるんだろうなぁってのがいいんです。でもって、そういう人がいきなりものすごい贅沢をするのも楽しい。贅沢な世界ってのはこういうものなんだと、逆に実感できるので。



はっきり言って、YouTuberには素人も玄人もないと僕は思っています。もちろん「テレビ番組のように無駄にはしゃぐ」YouTuberもいて、そういう方の動画はやっぱり見ません(というより避けてます)が、いい味出してるYouTuberはたくさんいます。

そもそも動画配信の敷居なんてすごく低いし、スマホがあれば出来ちゃう時代。つまり誰だってYouTuberにはなれるのでして、そんな世界で素人も玄人もないと僕は思います。自分の感性と合うか合わないか。これだけだと言ってもいい。

どんなに作り込んでも、自分(の感性)と合わなければ見たくはないですよね。

僕はそうです。大作映画が見たいのではなく、かと言って低予算だけどうんたらとかいう能書きも嫌い。要は「自分の見たいものが見たい」だけです。

YouTubeにはそういう動画がたくさんあるのして、だからこそもう僕はYouTubeがあれば十分。

でかい画面で綺麗な映像にも興味なし。歳をとってますます自分に素直になった結果「テレビはもう一生いらない」となってしまったのでした。小遣い稼ぎ感覚でいいんです。みんながそれぞれ興味のある分野を自分自身のやり方で動画作ってアップしてるのを、「これは面白そうだ」で見るのがいい。そんな動画がわんさかあるYouTubeがあれば、僕はもうテレビとは無縁でいいです。
スポンサーサイト



  1. 2019/03/08(金) 09:01:36|
  2. たまにまじめ
  3. | トラックバック:0

地震雑感

ぼんやり眼がさめると同時に、グラグラと揺れが来て「地震だなぁ」と思ったら、



グ〜ラグ〜ラ・・・グラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラガシャーングラグラがターングラグラ(わわわわわわ



と。



え?え?え?おまけに緊急地震速報のけたたましいサイレンまで鳴ってな?な?な?



と。でもイマイチぼんやりな頭でMacの電源入れて情報を見てると突然室内全部が真っ暗に。



え〜~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



できるだけ当時の心境をリアルに表現するとこんな感じでした。夜中なのでイマイチぼんやりしてて、ここまでになってるのにどうしてもシャキッとしない僕。鈍感すぎですが、それでもシャキッとしようとカーテンを開いたら外も真っ暗。う〜むとにかくなんか飲もうと水道をひねったら水が出ず。



う〜~~~~~~~~~~~~~~む。



で、外に出てみると、どっかのおっさん連中が何やら喋ってるようで、話ぶりがのんびりだったので、まあそんなもんかと思ったのです。で、事もあろうに「また少し寝てしまいました」。とにかく「停電だけだろう」と高を括ってしまったのです。

そして、朝起きてことの重大さに気づいたのでした。

世の中電気次第だったんだということに今更気づき、信号機が動かないとか、仕事先に行ったらてんやわんやだったりとかで、まあ見事にそこは「非日常」と化してました。

もっとひどいのは次の日の夜で、文字通り「久々に真っ暗闇」の部屋で一人ポツーン状態。開き直って「もう寝る!」とか言って寝てしまったので、辛いとかはなかったのですが、知り合いの人は清田区の人でもうシャレになってない状態だとか、東区の知り合いの人も通行止の道路多数でてんやわんやだったりだとかで、まさしく「非日常」。

そして今日はスーパーの棚が見事に何もないというネットで見た光景を目の当たりにして、これもまさに「非日常」。
まさか、自分自身がこの光景を見るとはね。ついでに例の辛ラーメンの売れ残りを見て「まさかこんな光景をこの目でみるとは!」なんて妙な感動すら覚えたりして。笑

こちらに来てもう10年。知り合いもいるし、なぜか僕によくしてくれる女性もいるし、みんな仲良くしてるので、こういう時でも色々融通しあうことができてるのがよかったです。だからさほど辛いとは感じませんが、正真正銘の一人ぽっちだと辛いかもしれませんね。

呆れるほど単純なことなのですが、こういうときこそ、というか、普段から「みんな仲良く」。

確かに今はまだ「非日常」ではありますが、不思議となんでもないんだよなぁ。



もちろん、今回の大災害でお亡くなりになってしまった方やその親族友人など、大変な目に遭ってる人もいますし、復旧のために一生懸命になってくれている人もいます。

色々あると思います。だからこそ、今の非日常を穏やかに過ごせていることを感謝こそすれ、だれかに何かを上から目線であれこれいつつもりなど一切ありません。

ただし、これだけは強く思うことが2つだけあって、

「原発を無理やり止めたら、場合によってはこうなること(ブラックアウトを起こす)が”最初からわかっていたのに”、反対派の人は何を考えていたのだろう?」
「今回の大地震が冬に起きてたらどうなっていただろう?」

と。

実は今回の大停電は「人災」だと僕は考えているのです。
  1. 2018/09/08(土) 13:42:21|
  2. たまにまじめ
  3. | トラックバック:0

両論併記が正しいと思い込んでる馬鹿

いつの頃からこんな馬鹿でふざけた思想がまかり通っているのか不明ですが、両論併記は完璧に間違っています。
でも、これをありがたがってる馬鹿があまりにも多いので、ヘキヘキしています。

両論併記すれば、もっと言うと両方の意見に耳を傾けている僕ちゃんアテクシ知識人ってうぬぼれが本当に醜悪です。

憲法9条さえあれば戦争にならないって吐かすキチガイレベルの異常性。

うんざりします。



100人の人がいて、そのうち99人までが賛成、残り1人が反対だったとしましょう。
両論併記してみましょう。

「賛成の人もいたが、反対の人もいた」

おやおや、まるで賛成50、反対50のような感じですよね。
これがマスゴミにかかると、さらにこうなります。



「賛成の人もいたが、反対の人もいた。反対の意見にも耳を傾けよう」



典型的なミスリーディングなのですが、全くもって意味不明です。





なんのために99人が賛成したのか?





が「全くもって完全に無視されている」のです。99人の意見はどこにいったの?99人は人ではないの?

マスゴミは常に「少数派」の意見ばかりを取り上げます。ほぼ例外はありません。そしてなぜかそれに賛同する馬鹿が多数を占めたりします。弱者や少数派への「配慮」ってやつです。

なぜ弱者や少数派へ「配慮」せにゃならんの?

これに対する答えは「多数派だから大目にみろ」だの「かわいそう」とかいった情緒的なものばかりで、全くもって意味不明です。そういう情緒抜きに、実際はどうなのか?ということを知るための意見募集なりアンケートなり調査なのに。

そもそも、ある意見が多数なら、その意見を「第一に尊重する」ことが、一番いいに「決まっている」のです。最大多数の最大幸福。多数が幸福にならずしてどうするの?

少数だけが幸福になればいい?そういうのは特権階級というし、もっというと「独裁」ってこと。

民主主義から最も遠いじゃないの。





ほんと、馬鹿だろ?キチガイだろ?





さて、サヨクもマスゴミも、常に多数をとことん無視して、少数だの弱者だのといった人たち(それもサヨクやマスゴミの仲間であって、本当の少数派や弱者の意見は完全に無視している悪質さ)の意見ばかりを



多数に押し付ける



訳で、こういう鬼畜なキチガイ野郎の言論の武器が「両論併記」なのです。
そもそも、多数派の中にも「社会的弱者がいる」という想像力がないんでしょう。馬鹿そのものですね。

両論併記は間違っています。正しくは「ありのままに書く」ことです。上記で言うなら、



99人までが賛成、残り1人が反対だった



と書けばいいのです。これだけ。たったのこれだけでいいのです。



ところで、多数と少数の話から両論併記の異常さを指摘したのですが、元となる意見募集なりアンケートなり調査なりが「偏っていれば」話はさらにややこしくなります。マスゴミの世論調査は内容を告知しない点から極めて悪質であって、一切信用していません。一切です。見るだけ時間の無駄だし、彼らが何をしたいのかが丸わかりで「極めて醜悪」でしかありません。

「今の時代」で最も有効と思われるアンケートは「選挙」だと思います。

自分の意思で「誰を支持するのか」という簡単な質問に「だけ」答えるからです。もちろん僕もあれこれ経験しているので、あれこれとカラクリがあるのも知ってますが、それでも、最も有効なアンケートだと思います。

本当に「誰を支持したのかは」他人にはわからない「はず」だからです。

過去に僕は「誰それに票を入れてくれないか?」と頼まれたことが一度や2度ではありません。そしていずれも入れませんでした。共産党に入れる馬鹿だけにはなりたくなかったからです。

田舎はそういうことが多い。人つきあいで入れるような人もいるでしょう。狭い世界なら十分にありえる話ですよね。
しかし今はネットがあります。

そして異常な人たちの異常な行動が次々と明らかになっていっています。田舎にいても判断材料には事欠かないのです。

しかしながら、判断材料としての「両論併記」には要注意。

平日の昼間から50人もいない暇人どもがタラタラ歩いてるのを、マスゴミが錦の御旗として「原発反対」してたように、マスゴミは常に人を騙しにかかるのだから。




嘘や捏造、ダブルスタンダード、そして印象操作。




サヨクやキチガイ野党と組んだマスゴミはなんでもありです。




彼らの意見には耳を傾けないこと。

それが大事なことなのです。
  1. 2018/05/05(土) 10:32:14|
  2. たまに偉そう
  3. | トラックバック:0

物語の役目

”ガキの使い”が何やら話題になってるようですね。

黒塗りとか
女性へのキックとか

笑える。あれこれ書いてる記事を読んだのですが、僕の感想はといえば



ああなるほど、





このようにして従軍慰安婦だのって問題が作られていったんだなぁ





と。火のないところに放火して、挙句に燃やされた方が悪いと。ネットのない時代ならこれでイチコロだったことでしょう。実際にキチガイ朝日新聞やらサヨク(今風にいうならパヨク)は、まさにこの手法で派手に日本を燃やしまくってきました。監視する人がいないからやりたい放題。

そして自分たちは「人権を守る正義のヒーロー」てなもんです。鼻息も荒く「この僕ちゃんのいうことが正義で正しい!」。

擬態がそんなに悪いならコスプレ全滅だし、暴力がそんなに悪いなら過去の物語も全滅です。

黒塗りがビバリーヒルズコップなのは「ちょっと知識があれば」すぐにわかることだし、キックは彼女だけが受けていたわけでもない。だれかを馬鹿にするのがダメなら「ドッキリ」ものは全滅だけど、海外のテレビでもドッキリはやってますよね?笑えないドッキリだってあるんじゃないですか?

笑えないなら「見なきゃいい」のです。



誰かを馬鹿にする気持ちは残念ながらなくなりません。
暴力の世界は残念ながらなくりません。

それを無理やり抑え付けているような人が「人権ダァ」と騒ぐのです。

適度に発散させるのが一番いいと僕は思いますよ。それが「物語の役目」。
やれないことできないことをやるのが「物語」です。
やったらどうなるのかまで表現するのも「物語の役目」。

むしろテレビだからこそやれるのです。もちろん大前提として「正しい情報を正しく伝えている」これをちゃんとやれている場合に限りますが。
  1. 2018/01/07(日) 08:51:43|
  2. たまに偉そう

アリとキリギリス

アリとキリギリスの話は誰でも知ってることと思います。
なので省略。

最近実感しました。

「そうか、アリとキリギリスの話って、そういうことだったのかぁ」と。

働き者、せっせと努力した者が報われるだけじゃないんだと。

「(今それを)やるかやらないか」

なんだなぁと。今やらなければ将来何も起こらない。種を撒かないと花は咲かないのだと。
良い悪いはともかく、今この時点でやらないと将来なんの変化もないんだと。

すごく実感したのです。
  1. 2017/10/07(土) 09:05:24|
  2. たまにまじめ
次のページ